深夜、部下から届いた提案資料を、あなたは一通り読んでいる。誤字はなく、構成も破綻していない。半年前に同じ人物が出していた資料と比べると、別人が書いたように見える。だが会議で一言質問を挟むと、その完成度に見合う答えが返ってこない。
flowchart TD
A[完成度で評価] --> B[AIで底上げ]
B --> C[実力が不可視]
C --> D[修正点で評価]
D --> E[言語化と観察眼]
「完成度」という物差しがもう機能しない#
AI活用専門家の山本悠介氏は、管理職向けメディアの取材でこう指摘している。これまで人の能力を見極める材料として、話し方や態度、知識量、学歴、資料作成能力が使われてきた、と。採用の面接でも、誤字脱字や受け答えが評価の指標として使われてきた。
ところがAIを使えば、これらが得意でない人でも質の高い成果物を作れる。未経験の若手がAIで高品質なアウトプットを出すケースも、もう珍しくないという。従来の評価基準では、本人の実力を判断できない。(出典: AI時代、管理職は何を評価すべき?「頑張り」が見えなくなる時代のマネジメント論|山本悠介さん監修)
この指摘は正しい。だが「では何を見ればいいのか」に抽象論で答えても、レビューの現場では使えない。私はかつて、この物差しのまま部下を評価しようとして、実力を見誤ったことがある。
完成度で評価しようとして、実力を見誤った#
ある案件で、私はメンバーにAIをフル活用した資料の作り方を指南したことがある。プロンプトの書き方から構成の詰め方まで、一通り教えた。
結果、起きたのはアウトプットがまったく出てこなくなるという事態だった。原因は本人の意欲でも能力でもない。ざっくりした質問をAIに投げ、それらしい回答が返ってきても、その品質を判定する軸を本人が持てていなかったことだ。
回答が事実として正しいか、論理が飛躍していないか、現場の制約と噛み合っているか。この判定軸がなければ、AIの出力は「整っているだけの文章」と区別がつかない。指導すべきだったのは資料の作り方ではなく、出てきた答えを疑う目の方だった。
部下の実力が落ちて見えたのは、部下が退化したからではない。完成度という物差しのまま見ていた側が、見る場所を間違えていた。これは専門家の役割が作る側から検証する側へ移ったという構造と、根が同じだ。
評価の軸を、完成度から3つに移す#
完成度で判断するのをやめると、次に何を見るかが要る。ここでは3つに絞る。
修正の要求点を、表現と構造に分けて記録する#
資料を戻すたびに、指摘した内容を2種類に分ける。言い回しや体裁を直す「表現レベル」の指摘と、論理の飛躍・事実誤り・現場感覚とのズレを正す「構造レベル」の指摘だ。
表現レベルの指摘しか出ない資料は、AIの実力を見ているだけで、本人の実力を見ていない。構造レベルの指摘が要る資料には、本人の判断が入っている。この記録は評価コメントの固有の層を書くときの種にもなる。
「なぜこの順にしたか」を15秒だけ聞く#
レビューの直後、資料の内容ではなく構成の理由を口頭で聞く。
このページの並び順、なぜこの順にした?
この数字、なぜここで出した?答えが資料の言い換えで終わるか、資料に書いていない判断根拠まで出てくるかを見る。言語化能力は、この差に現れる。
プロンプトそのものを1回だけ提出させる#
AIに何を投げたか、その粗さと具体性を見る。「いい感じの提案資料を作って」なのか、制約と優先順位を踏まえた指示なのか。観察眼の代理指標として、これ以上に手早いものはない。
この検証作業自体、AI出力を疑い続ける課長の負荷と同じ構造にある。評価軸を移しても、検証の手間そのものは消えない。
逃げの一手#
3つ全部を回す余力がない期もある。そのときは修正の要求点の記録だけを続ける。1行でいい。「表現のみ」か「構造まで」かの2択を、資料を戻すたびにメモすればいい。
評価の軸がまだ定まらないと感じるなら、その部下の評価を今回は保留にする権利もある。査定を数字で動かす記事で書いたように、評価は急いで確定させるより材料が揃ってから出す方が、双方の損が小さい。
まとめ:完成度はAIが底上げする。実力は直させた点に残る#
部下の実力は、資料の見た目にはもう残っていない。どこを直させたか、何を言葉にできたか、何にツッコミを入れたかに残っている。
本記事は AI が下書きし、管理人が監修しています。
査定に載らない組織仕事を振られたその日に、そのまま出せる定型文が3通ある。
→ 期待値コントロール定型文集(抜粋版)続きはタイムラインに置いていく。
